国指定史跡 北近江城館跡群
下坂氏館跡

国指定史跡 「下坂氏館跡」


   長浜市下坂中町に所在する「下坂氏館跡しもさかしやかたあと」は、戦国大名浅井あざい氏の家臣で、中世の地侍・下坂氏の館跡である。2006年1月26日に国指定史跡に指定され、翌年7月26日には、長浜市三田町所在の「三田村氏館跡」とともに、浅井氏家臣の屋敷群である国指定史跡「北近江城館跡群きたおうみじょうかんあとぐん」の一つとして改めて指定された。
   史跡の面積は約1万7千m²。主郭しゅかくは東西約89m、南北約87mの範囲があり、高さ約1~2m、幅約2~5mの二重の土塁どるいが、北から西に廻っている。土塁は東側にも良好に残るが、ここは一重で東の副郭ふくかくにつながっている。また、南側の西半分には一重の土塁が残るが、東半分については近代になって崩されている。
   長浜市教育委員会では、1995年に屋敷全体の測量調査を実施、2004年・2005年には屋敷内の発掘調査を行った。その結果、土師器はじきや輸入陶磁器など14~16世紀の遺物が出土し、また、建物・土塁・排水路の跡や階段状遺構などを検出した。これにより、南北朝時代から下坂氏が地侍・村落領主として、この館を使用していたことが確認された。
   2019年11月には、下坂氏の子孫から長浜市へ、史跡主要部の敷地と敷地内の建物が寄附された。寄附された館跡部分には、主屋おもやや門など6棟、菩提寺ぼだいじ不断光院ふだんこういんに本堂・庫裡くりなど5棟、合計11棟の建物が立っている。
   長浜市では、2020年8月から館跡の一般公開を実施(土・日・祝日のみ)。開館時の対応は、地元下坂中町の住民を中心とした「下坂氏館跡を守る会」が行っており、地域と連携した文化財活用の事例としても注目されている。
   戦国時代を思わせる主屋や門、中世の雰囲気のまま存在する不断光院など、現在まで良好な状態で伝存されている史跡を体感することができる。

◆ 館跡の建物について

   主郭の東南に建つ主屋はヨシ葺きで、明治時代以降は医院として使用されてきた。建立は18世紀後期にまでさかのぼり、入母屋いりもや造り、桁行十間、梁行二間半の巨大な豪農住宅である。正面やや右寄りに入口を設け、入口から入ったところから梁方向にニワ(土間)が続き、その左手に二列三室に居室を並べる。昭和50年代前半まで医院だった頃は、居室のニワに近い部分に診療室や薬局があり、奥に居間、座敷、仏間が並ぶ。
   屋敷の鬼門にあたる東北の土塁上には稲荷社いなりしゃをまつっており、その反対側の裏鬼門の西南には鎮守社ちんじゅのやしろを設ける。また、上座敷の南にあたる主庭には、「後鳥羽ごとば天皇の腰かけ石」と伝承される景石けいせきがある。そのほか、主屋の周辺には土蔵、便所、灰小屋が現存する。
   主郭の東南、副郭の南には、下坂氏の菩提寺である不断光院が現存する。同寺は、浄土宗でその開基は不明であるが、下坂氏が台頭した南北朝時代からの寺院と考えられている。
   現存の本堂は、ヨシ葺き・入母屋造りで、棟札むなふだから1715年(正徳しょうとく5年)建造で、古式な浄土宗本堂の形態を伝える。不断光院の表門は、館跡の表門と同じ形態で、時代も18世紀前期の建立とみられている。また、本堂の北にある切妻きりづま造り・桟瓦葺さんがわらぶきの庫裡は、18世紀後期の建造物と考えられている。
   中世の地侍・村落領主クラスの屋敷構えがこれほど良好に現存するのは、滋賀県内はもちろん、全国的に見ても例がない。このように現在も遺構と景観を保つ下坂氏館跡は、わが国の中世から近世にかけての地域支配のあり方を考える上で、きわめて貴重な文化財といえる。


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下坂氏館跡 主屋
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下坂氏館跡 表門
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下坂氏館跡 奥座敷から見た庭園
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不断光院 本堂
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下坂氏館跡 航空写真
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下坂氏館跡 遺構図

◆下坂氏について

   下坂氏は、近江国坂田郡下坂庄の村落領主である。
   その出自については諸説あるが、下坂家に伝来する「下坂家文書」(長浜市指定文化財)に収められる1336年(建武けんむ3年)の「足利直義あしかがただよし感状」によれば、その活動は、すでに南北朝時代から確認でき、足利幕府方(北朝)の武将として守護京極氏の軍事指揮下に入って活躍していたことが知られる。
   その後、戦国時代には、北近江の守護であった京極氏や、戦国大名の浅井氏に仕えたことが知られ、信長・秀吉によって攻められていた小谷おだに城にも籠城した。
   浅井氏滅亡後は帰農するが、江戸時代は百姓と武士の中間となる「郷士ごうし」の身分として、中世同様に地域で大きな影響力をもった。近世大名家の家臣や旧浅井氏家臣の家と姻戚関係を持ち、戦国時代からの村内家臣との儀礼も継続されるなど、村人から超越した独自の立場を守り続けた。
   幕末には、板倉いたくら槐堂かいどう江馬えま天江てんこうなど、主に京都で活躍した「幕末の志士」の支援者も輩出している。
   明治以降の近代は名望家として、地域の人々から「甲内こうないさん」と呼ばれ親しまれた。

◆下坂家文書について

   下坂家に伝来した「下坂家文書」は、巻子11巻(236通)、状302通、冊子143冊、絵図9枚、帖1帖、その他6点の合計697点で構成され、南北朝時代から明治時代初期の下坂家や地域の情勢を読み解くことができる。長年、下坂氏の子孫によって所蔵されていたが、2014年に長浜市へ寄附され、現在は長浜市長浜城歴史博物館で保管されている。
   資料群の中でも特に貴重なのは、中世文書が収められた「甲巻」と呼ばれる巻子で、この中には戦国大名浅井氏三代の文書が収められる。初代亮政すけまさの文書5通、2代久政ひさまさの文書3通、3代長政ながまさの文書1通の計9通で、浅井氏当主文書が残るのは、同氏の領国下の地侍伝来文書としては最も多く、本文書群の価値を高めている。
   そのほかに、江戸時代の文書として、湖北の「郷士」間や彦根藩士らとの往復書簡、田村山の麓にあった只越社(現在は忍海おしうみ神社に合祀されている)をめぐる裁判に関する文書、下坂家菩提寺の不断光院の経営に関する文書もある。さらに、幕末の志士・文人として知られる板倉槐堂・江馬天江兄弟と、2人の兄にあたる下坂家当主・下坂高凱こうがいとの往復書簡も多数現存し、解明が進んでいない幕末の長浜を考える際の基本史料ともいえる。

下坂家伝来資料

画像をクリックすると詳細を表示します

足利直義感状 下坂治部左衛門尉宛

建武3年(1336)
長浜城歴史博物館蔵

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浅井亮政書状 下坂四郎三郎宛

(年不詳)10月13日
長浜城歴史博物館蔵

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浅井長政書状 下坂四郎三郎宛

元亀3年(1572)5月17日
長浜城歴史博物館蔵

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下坂一智入道書置 下坂久左衛門宛

(年不詳)3月14日
長浜城歴史博物館蔵

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歴代考記 下坂高凱書

文政3年(1820)
長浜城歴史博物館蔵

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下坂家系図(清和天皇~下坂高重)

江戸時代
長浜城歴史博物館蔵

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阿弥陀三尊来迎図 絹本著色

室町時代(14~15世紀)
長浜城歴史博物館蔵

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法然上人像 絹本著色

室町時代(14~15世紀)
長浜城歴史博物館蔵

アクセス


国指定史跡 北近江城館跡群 下坂氏館跡

史跡下坂氏館跡チラシ(PDF:966KB)

六荘まちづくりセンター TEL.0749-62-0198
長浜市長浜城歴史博物館 TEL.0749-63-4611(月曜日、第1・3日曜日、祝日)


長浜城歴史博物館

〒526-0065 滋賀県長浜市公園町10-10
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